こんにちは、すっとんです。
本日は久々の時事ネタということで、こんな記事をご紹介です。
みなさんは、夏休みの宿題で”自由研究”ってどんなイメージがありますか?
筆者が幼少期の頃は、今ほどインターネットが栄えていなかったのでネタ探しに苦労した記憶があります。
物心ついた頃からなんとなく理系脳だった筆者は、自由研究は嫌いではなかったし妄想だけはすごく膨らんでいました。
でも結局、知識や発想が全然追い付かないため先延ばしにするうちタイムアップとなり、当たり障りのない適当なネタで取り繕って提出した記憶ばかりがあるという残念な思い出が。。
大人になり、子どもが出来た今、この『自由研究キットが流行るワケ』とその背景にある日本の教育状況を鑑みれば、そりゃまぁ”自由研究キット”が流行るのも無理はないって思うわけです。
日本の教育には自由がない
上でご紹介した記事の結論は、
「キットを使えば体裁が整うから」
「かっこよくまとまるから」
という理由で自由研究キットが流行しているということでした。
筆者個人の意見を言わせてもらうと、この結論には少々違和感があります。
間違ってはいないけど、考察が浅いような気がするんですよね。
筆者の結論から言えば、
そもそも日本の教育には自由に物事を発想するための授業(訓練)が皆無だから、「自由にやれ」っていきなり言われてもパッと思いつかなくない!?だから、安易に『”キット”でネタも体裁もゲット!』ってなるんじゃない?
というふうに考えています。
日本の教育において、自由な発想を訓練して養う授業ってありますかね?
ゼロとは言いませんが、ほとんど9割以上は規定路線に乗せた、あらかじめ解答の用意されている授業ですよね。
それなのに、夏休みになるとなぜか突然「自由研究」なるものがでてくるわけです。
訓練されていないのに、突然「自由に何かやれ!」って言われても、言われた方は何をやればいいかわからないのです。
何も”自由研究キット”を否定しているわけではありません。
これはこれで学べることは多いはずですし、正しい実験の過程を学ぶ教材としてはもってこいなはず。
また、100人いれば100人の考え方があるのと同じで、理系好きもいれば嫌いな子もいて当然だと思っています。
嫌いな子に無理強いをしてもしょうがないので、そんな子たちのために”自由研究キット”でお手軽に体験できるものがあっても悪くはないと思うんですよね。
ただ、『自由研究の目的ってなんだろう?』と考えたとき、筆者は本来の目的であるはずの「自由に発想して結論まで持っていく力」を養いたいのであれば、まずはそれをさせるための土台や訓練がなきゃ話にならんだろ!と思うわけです。
子どもの発想力って本当に無限大?

大人は度々「子どもならではの自由な発想」とか「子どもの発想力は無限大」なんてことを言いますが、子を持つ親の感覚として、パパママの方はどう思いますか?
筆者は正直なところ、子どもなんて経験の無いことはほとんど出来ないと思っています。
時々突拍子もないことをしでかしますが、それは本当に突拍子もないこと。
(ソファの背もたれに立って落っこちるとかね。)
例えば子どもに対して「午後はずっと自由だから好きに遊びな!」って言うとどうなるか?
我が子の場合は、大体いつも通りの決まりきった遊びしかしません。
で、その決まりきった遊びに飽きてくると「パパー、なんか楽しいことしたい」って親に頼ってくるわけです。
もちろん、本当の意味で自由に発想し、いくらでも遊びを開発できる子も世の中にはいるのかもしれません。
しかし、そういった子はどちらかというと少数派だと思います。
自由に発想する力ってどうやって養う?
では、『自由に発想する力』ってどうやって養えばいいのか。
そもそも養うことができるのでしょうか?
筆者は教育学者でもなんでもないので、根拠のあることは言えません。
あくまでイチ親として、自分の子に与えている教育論としての考えでしかありませんが、日常的に意識していることはあります。
自由に発想する力とは
まず『自由に発想する力』とは何か。
これには大きく2つあると考えます。
1つ目
まずこれは当たり前ですが、何をしたいかを想像する力、すなわち『実現したいこと』を思いつく力です。
冒頭ご紹介した記事では、「自由研究キットなんて使わなくともダンゴムシの観察とかでいいのに」という主旨のものが書いてあります。
しかしながら、そもそも『ダンゴムシを観察したい』なんて発想が出てこないんだからどうしようもないわけです。
これはもう、経験しかない。
モノづくり系にしろ観察系にしろ実験系にしろ、”日常ありふれたもの”と”研究対象とするもの”を繋ぐ発想は、経験しかないわけです。
日常的に親子で虫を観察する(わざわざ飼う必要はありません)とか、モノづくりをするとか、そういった経験が新たな発想を生むと筆者は考えています。
なので筆者は、なるべく子どもに多くの経験をさせたいと思っています。
2つ目
そしてもう1つ忘れてはいけないものがあります。
何か『実現したいこと』があったとして、具体的にどうするか。
この『実現したいこと』を実現するためには、『必要な知識』があります。
この『必要な知識』は、学校なり本なりで学ぶものです。
筆者の思う『自由に発想する力』のもう1つ忘れてはいけないものとは、この『実現したいこと』と『必要な知識』を繋ぐ力だと思っています。
例①
例えば山登り。
『実現したいこと』=山の頂上まで登る です。
これに対して『必要な知識』は、
『必要な知識』=服装、山の天候、歩き方、地図の読み方・・・
等々でしょうか。
これらを繋げる『自由に発想する力』は、
『自由に発想する力』=頂上までのルート取り
となるわけです。
「それも『必要な知識』じゃん!」
と言われてしまえばそれまでですが、それはルート取りを体系化&知識化するかどうかの差です。
子どもに任せて無計画にやらせると、おそらくルート取りという概念はなく適当に山を登り始めるでしょう。
十中八九、遭難です。
『必要な知識』をもって地図を読み、天候を予想し、最適なルートを計画するという、想像力をフルに活用した思考活動こそ、『自由に発想する力』だと思うわけです。
例②
また別の例でいうと。
筆者はブログ内外問わず子ども達とちょくちょくDIYをするんですが、モノづくりをさせる前には必ず設計書を作らせます。
(設計書って言っても、ほとんどお絵描きですよ!)
実際の完成形を想像し、どんなふうにしたいか、どうやって作ればよいか、そこに必要な知識は何か、親子で設計書(絵)を描きながら思考を十分に巡らせ、ようやくモノづくりに入るわけです。
親がイチから手取り足取り教えてその通りにやらせるのは(それも大変っちゃ大変だけど)まぁ簡単です。
しかしながら、子どもの発想力を鍛えたいのであれば、親が手取り足取りすべきなのは”作り方”ではなく”想像の仕方”や、”考え方”だと思うんですよね。
自由な発想とは経験と想像力から生み出される
以上のことから、子どもの自由な発想とは、経験と想像力の2本立てで実現されると筆者は考えます。
単に『実現したいこと』だけがあっても、それは妄想で終わります。
(過去の筆者のように。)
逆に想像力だけがあっても、経験がなければ「あれをやりたい!」と発想するのは難しいでしょう。
経験と想像力、この両輪によって自由な発想が生み出されるということ。
そしてこれはおそらく、少なくとも今の日本では、親にしか子に与えることが出来ません。
学校では上記でご説明した『必要な知識』を教えるので手一杯。
とてもとても、それを使って経験させたり想像させたりする時間を十分にとることはできません。
経験と想像力は、親が補完してあげるのが最善でしょう。
具体的にどうすべきか

筆者が自分の子どもに行っていることを少しご紹介します。
①経験させる
先の例に挙げた通りですね。
家事のお手伝いから始まり、子どもと一緒に出来そうなDIYや、旅行、お出かけなど。
実際に見聞きさせ、肌にふれ、感覚をつかんだ!という記憶を残そうと意識しています。
家事で言えば、正直言って自分でやったほうが何倍も早いし(実際、常に手伝いをお願いするわけではない)、DIYにしても旅行にしてもお金も時間もそれなりにかかります。
なので、『子どもの教育のため』としか捉えないやり方ではきっと、親も子もつらい結果となるでしょう。
親自身も、子どもに経験を与えつつ自分自身が楽しめる何かを探すと長続きするかもしれません。
②想像させる
これも例に挙げた通り、なるべく時間を作って積極的に子どもとDIYをしたり実験をしたりして、その過程で考えさせることをよくやっています。
しかし、いつでもDIYが出来るわけではありません。
そんな時にちょくちょくやるのが、「質問返し」です。
よく子どもから、「これ何?」とか「どうやるの?」とか聞かれることがありますよね。
そのとき、すぐ回答を提示するのではなく「〇〇はどう思う?(〇〇は子どもの名前)」といったふうに、考え想像させるきっかけを作ってあげます。
大抵の場合、「わかんない」であるとか支離滅裂な答えが返ってくるのですが、それでもすぐに正解を教えるのではなく、あくまで一緒に考え、子どもに答えを出させるのです。
正解に誘導するテクニックは難しいし、子どもの性格や精神状況によってはめんどくさがって「もうパパ(ママ)には聞かない!」となってしまうこともあるので、どの質問に対して行うかはタイミングも考慮しつつよくよく考える必要があります。
また、このとき筆者が良く行う重要なポイントがあります。
例に挙げた「設計書」に通ずるところがあるのですが、余裕があるときはなるべく絵を描かせるようにしているというものです。
例えばティッシュペーパーの空き箱を持った子どもが「これでぬいぐるみが乗れる車を作りたいんだけど、どうすればいいと思う?」と聞きにきたら、まずは完成予想図を絵に描かせます。
完成予想図が出来上がったら、今度は各パーツをどこから集めてくれば良いか、一緒に考えます。
タイヤはトイレットペーパーの芯を4つに切ろうとか、折り紙で飾り付けをしようとか、そんな感じですね。
このとき役立つのが、電子メモパッドとダイソーのコピー用紙です。
ささっと書いて終わりな場合は、簡単にかける電子メモパッドで。
色付けしたり、書いたり消したりする可能性がある場合にはダイソーのコピー用紙で書きます。
このため、筆者の家にはいつでも誰でも取れる場所にダイソーのコピー用紙(B5)が数百枚置かれています。
こんなことを繰り返していたら、最近では筆者の上の子(小学1年生)はもはや完成予想図を言われる前に描いてきて、「コレ作りたいんだけど、アレとソレない!?」って聞きにくるようになりました。
生き物の観察や実験もそう。
実際にやる前にどうなるかを予想して絵を描いてもらい、予想と結果が合っているか(もしくはどこが間違っていたか)をみることで、想像力が養われると筆者は考えています。
まとめ
本日は「子どもの自由な発想を伸ばす方法」として、筆者が日頃行っていることを紹介しました。
「絵を描いて予想し、結果と照らし合わせる」なんてこと、実は小学校の理科とかでやってるんですけどね。
どうにも(筆者も含め)日本では、お勉強と現実社会を分けて考える思考があるためなかなか現実世界に小学校で習ったことを引き込むのが苦手なようです。
まぁ子どもにとって小学校と家庭はそれぞれ別々の日常ですから、少々大げさに言えば異世界みたいなものなのかもしれません。
そのあたりはやはり、親が努力するしかないのかもしれませんね。
では今日はこのへんで!